湯築城 |
別名 | 湯月城 |
所在地 | 愛媛県松山市道後湯之町 |
遺構等 | 復元石垣、復元土塁、外堀、内堀、 曲輪、土塁、説明板 |
現状 | 道後公園 |
築城年 | 建武3年(延元2,1336) |
築城者 | 河野通盛 |
歴代城主 | 河野、小早川隆景、福島正則 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2009/9 |
ゆづきじょう |
伊予鉄道城南線「公園前駅」のすぐ東にある道後公園が城跡です。公園の西と北に有料駐車場があります。 |
主郭付近は散策路が設けられ、城跡南側には武家屋敷や土塁、石垣、庭園などが復元され、すっかり整備されていました。 |
建武3年(延元2,1336)、河野通盛が築城し、以後16世紀末まで、250年以上にわたって伊予国の政治・軍事・文化の中心地となった。通盛は、足利尊氏に仕えて戦功を重ね、鎌倉時代の旧領と伊予守護としての地位を固めた。応仁の乱以後、伊予国は河野・宇都宮・西園寺氏によって権力が3つに分かれ抗争が絶えなかったが、天正2年(1574)土佐を統一した長宗我部元親が四国平定を目指して伊予へ進攻し、天正12年、河野通直も長宗我部氏の軍門に降った。天正13年、豊臣秀吉の四国征伐により、秀吉の命を受けた小早川隆景が伊予に進攻し、湯築城を包囲した。河野通直は湯築城を開城して秀吉に降り、河野氏は滅亡した。湯築城は、この功により小早川隆景に与えられた。天正15年、隆景は筑前名島城へ移り、替わって福島正則が入城したが、居城を府中城へ移したため廃城となった。 |