尼崎城
【道案内】
城址碑の地図
【感想・メモ】
阪神電鉄「尼崎駅」駅から西へ向かい、庄下川を越えると城址公園があります。この庄下川は外堀の役目をしていたようで、公園には石垣や城壁が復元され、お城の雰囲気を醸し出していました。その南側に桜井神社があり、神社の北西角に「尼崎市発祥之地尼崎城跡」石碑があります。神社の本殿前には城主戸田氏の紋が入った鬼瓦が置いてあります。神社の南東に「明城小学校」があり、この学校の南側西よりに城址碑と説明板があります。もう少し東へ行くと学校の正門があり、そこから学校へ入ってすぐ右手に、天守だけでなく櫓や水堀まである模型があり、なかなか楽しいです。ちなみに、小学校の北にある成良中学校付近が本丸だったようです。
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阪神電鉄「尼崎駅」から南東へ約500m。
【歴史】
元和4年(1618)から数年掛けて、大阪城の西を守る役目のため譜代大名の戸田氏鉄が築城した。300m四方の城域に三重の堀を持ち、現在の庄下川も西側の外堀として利用された。沖から見ると城全体が海に浮かんでいるように見え、「琴浦城」「浮城」の名称で親しまれた。本丸(現在の成良中学校付近)には高さ約18mの四層の天守閣が築かれていた。寛永12年(1635)氏鉄は美濃大垣城へ移封となり、遠江掛川から青山幸成が3万3千石で入った。以後青山氏が4代続いたが、正徳元年(1711)、美濃郡上八幡へ移封となり、遠江掛川から松平忠喬が4万8千石で入封した。以後松平氏が7代続いて明治を迎えた。
別名 琴浦城、尼丘城、浮城
所在地 兵庫県尼崎市北城内
遺構等 模擬天守、模擬石垣、模擬城壁、碑、説明板
現状 尼崎城址公園、陽城小学校、桜井神社他
築城年 元和3(1617)
築城者 戸田氏鉄
歴代城主 戸田、青山、松平
形式 平城
訪城日 2011/2 感想
あまがさきじょう