高安城

倉庫跡礎石
別名
所在地 奈良県平群町久安寺
遺構等 礎石、碑、説明板
現状 山林
築城年 天智天皇6(667)
築城者 天智天皇
歴代城主 天智天皇
形式 古代山城
訪城日 2014/12/31
660年、唐と新羅が連合して百済を攻め滅ぼし、百済から救援を求められた斉明天皇や皇太子・中大兄皇子(天智天皇)は九州へ向かったが、斉明天皇は九州で急死し、百済へ向かった日本の水軍も白村江の戦いで唐の水軍に完敗した。この緊迫した状況のもと、天智天皇は667年、近江大津宮に遷都し、高安山に城を築いた。対馬の金田城、九州太宰府を守る大野城基肄城、瀬戸内の屋島城などと並ぶ日本防衛のための大規模な古代山城である。高安城は築城後、畿内の田税である籾と塩を蓄え非常時に備えたが、672年の壬申の乱で倉庫は炎上、その後、天武・持統天皇の時代に修築され、文武天皇の701年に廃城となった。
【歴史】

【道案内】
倉庫跡の地図
近鉄西信貴ケーブル「高安山駅」から北東へ約500m遊歩道を歩くと中世高安城があり、この東に「高安城倉庫址」の案内があります。それに従い南東へ進み、途中信貴山スカイラインを横断し、更に3〜4分歩いて左手へ(案内有)進むと倉庫址です。中世高安城から約7分。信貴山城からもハイキングコースがあり北西へ約30分弱。
【感想・メモ】
倉庫跡には礎石があり、碑や説明板があります。この途中の道沿いには「高安城1号倉庫址」と札が付けられた木もありました。
たかやすのき
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