大野城 |
百間石垣が見応えたっぷりで、道路を挟んだ反対側の山にも北石垣、小石垣があります。太宰府口城門跡の石垣も素晴らしく、ここから土塁を歩いて一周するのも良いでしょう。増長天礎石跡は4棟の高床倉庫が一列に並んでいたのが分かり、西側にある鏡ヶ池は枯れない事から大野城の井戸跡と言われているようです。 |
一周するなら駐車場が広い県民の森か、太宰府口城門跡からスタートすると良い。要所のみの見学の場合、点在する駐車場を利用すると良いでしょう。 |
天智天皇2年(663)、百済救援のため朝鮮半島に出兵した日本軍は、白村江の戦で唐・新羅軍に大敗した。翌年、敵の侵攻に備え防人と烽火を置き、水城を築き、更に665年には百済から亡命貴族の指導により大野城・基肄城・長門城(山口県)を築いた。大野城は大野山全体を城とする雄大な備えの朝鮮式山城で、山の稜線に沿って土塁を巡らし、谷には石垣を築き、その内側に倉庫等の建物を設け、大宰府が危急の場合に逃げ込み、長期間籠城防戦できるしくみになっている。 |
別名 | |
所在地 | 福岡県大野城市、太宰府市、宇美町 |
遺構等 | 土塁、石垣、門跡、建物跡、碑、説明板 |
現状 | 山林、公園 |
築城年 | 天智天皇4(665) |
築城者 | 天智天皇 |
歴代城主 | 天智天皇 |
形式 | 朝鮮式山城 |
訪城日 | 2007/2/9 |
太宰府口城門 |
おおのじょう |
増長天礎石 |