基肄城
西側の土塁:基山町役場の南側から県道300号を2.2km程北西へ進み、右手に「瀧光徳寺」を過ぎます。更に2.5km程進むと右手に「草スキー場」があります。この上へ登ると土塁が見られます。草スキー場に駐車場があります。
水門跡:国道3号「三国」信号を西へ入り、1.8km程西進して右折し、300m北上するとあります。水門手前の道路脇に駐車しました。
別名
所在地 佐賀県基山町小倉
遺構等 礎石建物跡、城門、水門、石垣、土塁、碑、説明板
現状
築城年 天智天皇4年(665)
築城者 天智天皇
歴代城主
形式 古代山城
訪城日 2007/11/23
水門の地図
西土塁の地図
【道案内】
【感想・メモ】

水門跡
草スキー場からかなり急斜面を登りきると土塁上です。眺望がとても良く、土塁が続くのが見えて壮大な気分になります。登り切った正面に城址碑があり、北側には老朽化してかえって景観を損ねている展望台があります。南側には畝状の土塁の先に櫓台のような高い土塁があり、その先には「天智天皇欽仰之碑」がありました。水門跡では石垣が沢山見られます。
【歴史】
天智天皇4年(665)、福岡県の大野城と共に、唐・新羅の侵攻に備え、太宰府防衛のために築かれた朝鮮式山城。西峰の坊住山と東峰の稜線を巡る土塁は延長4km。筒川の谷を袋状に囲み、その4箇所に城門を開いている。南流する筒川の出口は石塁で塞ぎ水門を設けて排水した。城内の尾根上などには40棟以上の倉庫が建てられ、武器や食料を蓄えた。(現地説明板より)
きいじょう
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