朝護孫子寺(信貴山)の奥が城で、お寺に参拝者用駐車場が完備されています。
お寺に入ると張子の虎が出迎えてくれます。本堂をお参りし、三重塔の横から空鉢堂へと九十九折の急坂を登ります。空鉢堂が山頂で本丸のようです。
信貴山城
天文5年(1536)、河内守護・畠山氏の家臣、木沢長政が築城した。天文11年、木沢長政は河内太平寺の戦いで討死し、城は廃城と化した。永禄2年(1559)、松永久秀が城を大改修した。松永久秀は、足利幕府の三管領(細川氏・畠山氏・斯波氏)の筆頭、細川氏の重臣・三好氏の家臣で、三好氏が細川氏を押さえ畿内を支配すると、久秀も勢力を伸ばし、永禄3年には大和北方に多聞城を築いて京都を窺った。永禄7年、三好長慶が没し久秀の勢力は増大したが、永禄11年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、畿内の様相は一変した。天正5年(1577)信長の石山本願寺攻め時、久秀は信長へ反旗を翻し信貴山城に立て籠った。信長は2万3千の軍で信貴山城を取り囲んだため、久秀は自刃した。
【歴史】
別名 信貴城
所在地 奈良県平群町信貴山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文5(1536)
築城者 木沢長政
歴代城主 木沢、松永
形式 山城
訪城日 2007/2/12
【道案内】
城跡の地図
【感想・メモ】
しぎさんじょう
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