秋山城

主郭・天守台
春日神社には春日門と呼ばれる門跡の櫓台石垣が残っています。また、神社の手水舎に向かって左手の穴は、お城からの抜け道と言われているようです。神社から登城道を進むと10分弱で堀切が見られます。ここから石段や石垣が見られ、道は折れ曲がっています。主郭周囲にも石垣が見られますが、天守台も見事です。南東の二郭にも石垣があり、背後に立派な堀切があります。中世時代の竪堀や堀切も立派ですが、こちらは藪です。とはいえ、かなり広範囲が更に整備されていて見やすく堪能できます。城域が広いので、最低でも2時間はみましょう。また、大宇陀町の町並みもおススメで、麓の松山陣屋と一緒に見学すると良いでしょう。
【感想・メモ】
城の北西麓にある春日神社(登城口1)または「道の駅宇陀路大宇陀」から国道166号を200m程東進した左手(登城口2)が登城口で、道の駅駐車場を利用するとよいでしょう。また春日神社北方約300mの慶恩寺駐車場に「秋山城主の碑」があります。
大手枡形虎口 主郭石垣 二郭北の石垣 春日門
【歴史】
南北朝期、宇陀地方の有力国人領主・秋山氏が築城した。天正13年(1585)、豊臣秀長が大和郡山城に入封した際、秋山氏は伊賀に追放された。その後、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種、福島孝治と 豊臣系大名が次々と入れ替わって城主となった。元和元年(1615)、福島孝治が改易され秋山城も廃城となった。同年、宇陀松山に織田信雄が5万石で入封した。織田氏は秋山城の麓に陣屋を構え、4代信保が丹波柏原に移るまで宇陀松山を領した。織田氏転封後の松山は、天領となった。
登城口1の地図
登城口2の地図
城跡の地図
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【道案内】
別名 宇陀松山城
所在地 奈良県宇陀市(大宇陀町)大宇陀区春日
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、石垣、天守台、桝形虎口
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 秋山氏
歴代城主 秋山、伊藤、加藤、羽田、多賀、福島
形式 山城(比120m、標471m)
春日神社から主郭まで約13分
訪城日 2015/1 感想
あきやまじょう