城跡の地図
御着城
別名 茶臼山城
所在地 兵庫県姫路市御国野町御着
遺構等 堀、碑、説明板
現状 姫路市役所東支所、御着城跡公園
築城年 永正16(1519)
築城者 小寺政隆
歴代城主 小寺氏
形式 平城
訪城日 2010/11 感想

黒田重隆墓所

【道案内】

【感想・メモ】

天川橋と堀

ごちゃくじょう
【歴史】
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JR山陽本線「御着駅」から北東へ約500m。国道2号「御国野」信号から200m程東進して天川を渡り、更に80m程東進した左手に、姫路市役所東支社と公民館が、その東にはグランドがあります。この一帯が城跡で、支所に駐車場があります。
永正16年(1519)、赤松氏一族で姫路城主であった小寺政隆が、子の則職に家督を譲り、隠居所として築城したのが御着城で、以後小寺氏代々の居城となった。時の城主小寺政職は、黒田職隆・孝高父子の有能さを見抜いて登用し、西播磨に勢力を誇った。天正5年(1577)、織田信長の命により羽柴秀吉が播磨へ侵攻した際、政職は家老黒田孝高の助言に従い一旦は秀吉側に付いた。しかし、三木城主・別所長治や摂津有岡城主・荒木村重が信長に反旗を翻した際、毛利側へ寝返った。天正8年、三木城・有岡城の陥落後、秀吉に攻められ落城した。
支社の手前は公園になっていて、御着城の碑や説明板があります。支社&公民館の建物がちょっとお城っぽくって、なかなかgood!隣に官兵衛のおじいさんで目薬を作り始めた黒田重隆のお墓がありました。小説を読んで知っていたので、興味が湧いて楽しめます。支社の奥にある石橋「天川橋」の下は、御着城の堀跡が残っています。また、天川は外堀として利用していたようです。