城跡の地図
三木城

天守台
別名 釜山城、別所城
所在地 兵庫県三木市上の丸町
遺構等 曲輪、空堀、土塁、天守台、井戸、説明板
現状 上の丸公園
築城年 明応元(1492)
築城者 別所則治
歴代城主 別所
形式 平山城
訪城日 2010/11 感想

鷹の尾堀切

【感想・メモ】

外堀石垣


神戸電鉄粟生線「三木上の丸」駅南西の上の丸公園が本丸で、公園に駐車可能です。
【歴史】
明応元年(1492)、別所則治が築城し、別所氏代々の居城となった。天正5年(1577)、織田信長が、羽柴秀吉に播磨侵攻を命じ、時の城主・長治は、当初東播磨の旗頭として参陣したが、すぐに毛利氏と通じ反旗を翻した。天正6年、秀吉は三木城攻めを開始するが、なかなか落とせなかった。そこで篭城する三木勢に対し、城を包囲し兵糧攻めをした。三木城では餓死者が続出し(三木の干殺し)、天正8年、長治は城兵の命と引き替えに自刃し、三木城を開城した。元和3年(1617)明石城の築城に伴い廃城となった。

現地説明板参照
【道案内】

カンカン井戸

みきじょう
上の丸公園には天守台やカンカン井戸、別所長治騎馬像、三木城包囲の秀吉軍武将配置図、三木城復原図などがあり、天守台には「辞世の句」碑もあります。北側の階段を下りて商店街へ向かいながら公園を振り返ると、大きく「三木城跡」看板があり、白塀が長く続いていて、高台にお城がある雰囲気を醸し出しています。それにしてもこの周辺はスゴイ崖で、付近の地形も起伏に富んでいます。南方の雲龍寺には別所長治と照子夫妻の首塚があり、その横に外堀に使われていたという石垣があります。またこの東の三木勤労者体育センターは右図の鷹の尾となり、体育センター西の林に堀切がありました。右図の宮ノ上要害は浄水場になっています。
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