有岡城

伊丹駅から西へ出て道路を渡ると、横長の城址碑があります。その西側は城址公園となっていて土塁があります。通りを挟んだ公園北側の入口には城址碑があり、階段を上がると土塁、礎石、井戸、石垣があってびっくりします。駅前にこれだけのものが見られれば十分です。この城址公園の東側には空堀が残っており、公園北側から全体を見ると、いい雰囲気です。また、岸の砦は現在猪名野神社が鎮座しており、土塁が残っています。

岸の砦 土塁

JR「伊丹駅」から西へ出てすぐ。駅周辺に有料駐車場があります。
また、有岡城には砦が3つあります。
岸の砦  :伊丹市宮ノ前3丁目6−1 猪名野神社
上臈塚砦:伊丹市中央6丁目3−3  墨染寺〜伊丹シティホテル
鵯塚砦  :伊丹市伊丹7丁目      宅地
別名 伊丹城
所在地 兵庫県伊丹市伊丹2丁目
遺構等 曲輪、土塁、横堀、石垣、井戸、碑、説明板
現状 公園
築城年 鎌倉末期
築城者 伊丹氏
歴代城主 伊丹、荒木
形式 平城
訪城日 2011/2 感想
【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
ありおかじょう
【歴史】
TOPページへ
南北朝時代から代々伊丹氏の城として発展してきた有岡城(伊丹城)は、永正17年(1520)にはその城下町まで取り込む惣構構造の兆しを見せ、その後、一向宗との合戦など数々の戦で次第に強化された。伊丹氏を破って入城した織田信長方のの荒木村重は、信長の命により有岡城と改名し、城を大改修して惣構の城を完成させた。天正6年(1578)、村重は信長に反旗を翻し、大群に包囲されて約10ヶ月の攻防の末、落城した。その後、池田之助が城主となったが、天正11年美濃国に転封となり廃城となった。寛文元年(1661)、近衛家が所領し明治を迎えた。