壁田城
車で上まで行けるラクラク山城です。駐車場のすぐ南に堀切があり、そこから郭と堀切が続きます。駐車場から主郭までは遊歩道が整備されているのですが、遊歩道を作るために思いっきり削りこんでいて、ここまで削らなくてもいいのに・・・と思っちゃいました。主郭には神社が鎮座しており、社殿右手上に説明板があります。この社殿の横にはナントもすごい上杉謙信の絵もありました。主郭から一段下がった郭にも説明板があり、更に南にも郭や堀切が続くのですが、途中から藪だらけになったため引き返しました。東側には竪堀も何本かあるのですが、藪で諦め。うーん、藪じゃない季節に来たらとても楽しめるお城だと思います。
【感想・メモ】

別名
所在地 中野市壁田
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、説明板
現状 神社、山林
築城年
築城者
歴代城主
形式 山城
訪城日 2008/6
城跡の地図
【道案内】

へきたじょう
国道292号「合同庁舎入口」信号から300m程北上した2本目の路地を左折し、120m程西進した突き当りを右折します。200m程北上して左折し、200m程進んで鋭角に左折します。150m程南下して道が二手に分かれる所を左手へ進み、800m程南下すると道路終点で駐車場となり、既に城域です。
往古は火置田と書いて、奈良朝の蝦夷経略時代の狼煙台があったとする説もある。川中島平を手中にした武田氏は飯山城野尻城を攻撃目標とし、信越国境地帯へ進出していったが、壁田城は甲越合戦時における上杉方の飯山口の守備に対する武田方の最前線として替佐城と共に重要な拠点だった。永禄11年(1568)頃、長沼城下の整備や再建工事が進められたが、その頃に壁田城も改修されたようである。天正10年(1582)武田氏滅亡後は城の役目を終え廃城となった。(『図解 山城探訪 第十二集』参照)
【歴史】
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