飯山城 |
別名 | |
所在地 | 飯山市飯山 |
遺構等 | 曲輪、石垣、土塁、水堀、碑、説明板 |
現状 | 城山公園 |
築城年 | 永禄年間(1558-70) |
築城者 | 上杉謙信 |
歴代城主 | 上杉、関、皆川、堀、佐久間、松平、永井、青山、本多 |
形式 | 平山城(比25m) |
訪城日 | 2006/9/16 |
いいやまじょう |
JR飯山線「北飯山駅」から南東へ約300m。国道117号(飯山バイパス)と国道403号が交差する「中央橋西」信号を西へと県道97号に入り、300m程西進した「本町」信号を右折します。400m程北上した「仲町交番前」信号を右折し150m程東進すると坂を上がりだし、左手に「市民会館」を過ぎます。この正面が城跡で、市民会館もしくは、正面を左折した付近など、公園周辺に駐車できます。 |
飯山城の主要部は城山公園になっていて、本丸には神社が鎮座しています。ここの一番の見所は二の丸から本丸への枡形虎口とその周辺の石垣。下から見上げてもカッコいいですが、上から見下ろすと全体が分かって更に感動します。本丸に説明板があり、公園から市民会館よりもう少し下った所にも標柱があって石が入っています。これは当時からの土留めの石か?また、その向い側には立派な門があります。何にしてもお気軽に夏でも楽しめるお城です。 |
この地は、東は千曲川に沿い、西は関田・斑尾の山地に囲まれ、越後への軍事交通の要地であった。城は独立丘陵を削りならして構築した平山城で、梯郭式に本丸・二ノ丸・三ノ丸が南北に連なり、その西側は帯郭・西郭・外郭に区画され、四周は一重の濠を巡らす。本丸の南面は特に防御を固め、濠は深く、土塁は高く、急傾斜で東・北・西の三面は直立に近い石垣を築く。本丸・二ノ丸・三ノ丸には城主の居館・政庁・城櫓があり、西郭は重臣の屋敷、濠外は家中屋敷・公共施設、その外側には城下町が発達していた。この城はもと常磐牧の泉氏の居城で、のち上杉謙信の属城となり、永禄7年(1564)頃、武田信玄の侵攻に備え、謙信の創意の縄張と、さらに上杉景勝の修築による特色ある城郭で、上杉氏の信濃出陣の拠点となった。慶長3年(1598)上杉氏の会津移封後は、関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多の諸氏が交替して城主となった。(現地説明板より) |