城跡の地図
替佐城
別名 対面城
所在地 中野市(豊田村)豊津845
遺構等 曲輪、土塁、空堀、竪堀、土橋、水堀、碑、説明板
現状 替佐城址公園
築城年 永禄7年(1564)頃
築城者
歴代城主
形式 山城(比110m)
訪城日 2006/9/16
【道案内】


【感想・メモ】
かえさじょう
【歴史】
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国道117号「上今井」信号から1km程北上した右手下に「豊井小学校」がある所で左折します(道路に城址公園の案内が出ています)。400m程西進して上信越自動車道をくぐりますが、くぐってすぐ右手へ入る道があるので、そちらへ右折します。少し坂を上がりながら左へ急カーブした後、右手前方の山道に入ります。そのままこの道を上がって行くと、突き当たりが駐車場で、城跡です。駐車場は車3〜4台分です。
城跡は城址公園となり、駐車場から出て前方に城の標柱があり、そこから右手へ行くと説明板があります。この説明板の前を通って登って行くと本丸と二の丸の間の堀切に出ますが、ココの堀切は見応えがあります。私は三の丸から見たので、ここから右手(南)へ行きました。少し行くと二の丸と三の丸の間の低い堀切があり、土橋が良く分かります。三の丸の南側へ下りていくと段郭があり、更に下には水堀があるようです。二の丸は草ボウボウだったので通り過ぎ、先程見た堀切を経由して本丸へ。本丸には東屋があり、眺望がすばらしく気分がいいです。また、周囲に腰曲輪が取り巻き、その向こう側には空堀が見られます。腰曲輪を一周したかったけど、かなりな藪のため途中でやめました。登山道は整備されていたものの、遺構をしっかり見るなら夏場は避けた方がいいかな?
この城は永禄7年(1564)頃築かれたと推定されている。北信濃の制圧をめざす武田勢とその防衛をはかる上杉勢が川中島平で激しく争った当時、武田方の前進基地として重要な役割を果たした。この城は上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道(千曲川通り)を東岸からおさえる壁田城と共に西側からおさえるもので、また永江方面を経て上杉方の国境野尻城へも備えていた。この城は三つの曲輪(本丸、二の丸、三の丸)と、それを取りまく幾つかの帯曲輪、腰曲輪や堀切からなっている。武田氏関係の山城として戦国時代の面影をよく残しており、また、その整然とした曲輪配や規模の大きさなど北信濃でも有数の城郭である。(現地説明板より)
縄張図(現地説明板より)