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別名 |
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所在地 |
長野県筑北村(坂北村)東山 |
遺構等 |
曲輪、土塁、竪堀、堀切、石垣、碑、説明板 |
現状 |
青柳城址公園 |
築城年 |
戦国期 |
築城者 |
青柳氏 |
歴代城主 |
青柳、溝口 |
形式 |
山城(比250m) |
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訪城日 |
2006/9/17 |
感想 |
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碩水寺の南側道路を東進し道なりに2km程進む(城址公園の案内有)と城の搦手に着き、駐車場も完備されています。途中、1ヵ所、真っ直ぐが細い道で「四阿屋山」となり、左右には何の案内もない所があったのですが、ここは左折するとすぐカーブとなりますが、カーブに案内ありました。 |
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城の入口に説明板があり、櫓門や隣の櫓は上れる。城内は整備され、表示も行き届いている。竪堀を過ぎると二重堀切が見えてくるが、これが凄い!深さがかなりあり、見上げると壁がそそり立っているかのよう。こんな凄い二重堀切が2つもあり、更に堀切から竪堀となってしっかり落ちているので、見応えたっぷり。二重堀切の2つ目を過ぎると虎口があり、五の郭へ。ここから一の郭までが主要部分だ。うっすらした土橋を通って四の郭へ。三の郭で冠木門を通り枡形を通ってニの郭へ行く。二の郭から主郭壁面にある石垣が見えるが、ここまででも十分過ぎる位の遺構に満足しているのに、こんな立派な石垣が見られ、幸せ一杯だ。一の郭には東屋があり、そこから来た道を見下ろして楽しめる。帰りは、来た道でなく脇道を通ったら、側面に結構石があったり、落ちたりしていたので、もっと石垣があったようだ。途中、石が方形に囲まれ、そこから下へ石が直線的にあったので、井戸と水路?と思って見ていた。とにかく素晴らしいお城で、山に登らずにしっかりと山城の醍醐味が味わえ、夏場でも遺構が見やすく整備されていて、大満足できる超オススメのお城だ。 |
清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。始めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。武田信玄は川中島への拠点として改修し、天文22年(1553)ここに10日間泊まっている。武田氏滅亡後は小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。天正11年(1583)4月から翌年までの1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城の取り合いが4回繰り返された。天正15年に青柳氏が滅亡して、小笠原氏の家臣の松林氏が在番している。実戦の行われた数少ない城のうちの1つである。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。 |
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