【道案内】 |
城跡の地図 |
十神林道入口 |
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鳥取県庁北方の久松公園が城跡で、県庁の北側に無料駐車場が完備されています(県庁の守衛にスタンプを貰う)。南麓の山下部を見てそのまま山上部を見学すると良いです(二の丸と天球丸の間に山上部への登山道有)。
また、十神林道を登る道もあります(鳥取市埋蔵文化財センター北方のトンネルを北へ抜け、100m先の左カーブ手前の右手に林道入口有、ただし入口付近に駐車不可)。十神林道は舗装道ですが車の通行は不可。傾斜が緩やかな分距離がかなり長い。 |
【感想・メモ】 |
南麓の武道館北方に吉川経家像があり、博物館南東に城門が復元されています。鳥取西高校への道が大手道で門跡、三の丸、二の丸、天球丸と石垣をたっぷり堪能できます。天球丸の巻石垣が面白く、二の丸の石切場や三階櫓台、菱櫓台も見応えあります。山上部までは石段を登ること約30分。途中や山上部も石垣が素晴らしく、本丸には井戸があり、天守櫓からは日本海や鳥取砂丘など絶景が楽しめます。
ここから、十神砦、豊臣秀長陣および大防衛ラインを見ながら太閤ヶ平へ尾根伝いに歩くのがオススメです。詳細は各ページをご覧ください。 |
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【歴史】 |
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天文14年(1545)、因幡守護・山名誠通が築城した。天正8年(1580)、城主・山名豊国が家臣に追放され、毛利氏が石見福光城主・吉川経家を鳥取城主とした。天正9年、羽柴秀吉に2万の軍で包囲され、兵糧攻めに遭った。鳥取城内は飢餓地獄に陥り、篭城4ヶ月で吉川経家は開城し、自刃した。その後、宮部継潤が5万石で城主となった。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の功で池田長吉が6万石で入封し、城の中心を山麓に移した。元和3年(1617)、姫路から池田光政が32万5千石で入封した。寛永9年(1632)、岡山城主・池田光仲と入れ替わり、以後、池田氏が12代続いて明治を迎えた。 |
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【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |