鳥取県のお城 たいこうがなる
太閤ヶ平
別名
所在地 鳥取県鳥取市東町2
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 本陣山(史跡公園)
築城年 天正9年(1581)
築城者 豊臣秀吉
歴代城主 豊臣秀吉
形式 山城(比240m、標251m)
登城時間 鳥取城本丸から約1時間
東の虎口
訪城日 2013/4/18 感想
【道案内】 城跡の地図 長田神社脇登り口 栗谷町登り口 樗谿神社登り口
私は鳥取城から尾根伝いに十神砦羽柴秀長陣に寄りながら訪れ(鳥取城から約1時間(見学時間除く)、寺屋敷の陣城経由で長田神社脇へ下山しましたが、オススメです。詳細は鳥取城攻め大防御ラインをご覧ください。この他、栗谷町(栗渓神社付近)、鳥取市歴史博物館(樗谿(おうちだに)神社脇)からも登れますが、樗谿神社脇からの道は舗装された車道を3.5km(約50分)も歩く必要があります。
【感想・メモ】
最初に見えてくる北〜東の空堀が立派でビックリします。東側の虎口も素晴らしく、郭内に入ると周囲の高い土塁に更に圧倒されます。南東の張り出しも面白く、かなり満足できるお城です。
【歴史】
全国統一を目指す織田信長は中国地方に勢力を持つ毛利氏と対立し、天正8・9年(1580・81)の2度、羽柴(豊臣)秀吉を総大将として鳥取城を攻めた。この太閤ヶ平は天正9年(1581)、第二次鳥取城攻めの際に秀吉が築き本陣を置いた。左右両翼と前面の袋川沿いに各陣を布いて、2万の軍勢により鳥取城を包囲して兵糧攻めをした。包囲後3ヶ月を過ぎた頃には籠城兵糧尽き、鳥取城の吉川経家は城兵を助けるために開城し、城中広間で切腹した。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行

土塁

東の空堀
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