鳥取県のお城 かげいしじょう
景石城
別名
所在地 鳥取県鳥取市用瀬町用瀬
遺構等 曲輪、石垣、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 不詳
築城者 不詳
歴代城主 用瀬氏、磯部氏、山崎氏
形式 山城(比255m(Pから155m)、標325m)
登城時間 本丸まで約20分
本丸南隅の石垣
訪城日 2013/4/17 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
JR因美線「用瀬駅」から東へ約1km。用瀬駅東方の鳥取市役所支所と用瀬保育園の間の道を500m程北上し、案内に従い右折します。約250m先の行止りが駐車場で、少し手前が登城口です(説明板・碑有)。尚、駐車場東の登城口は景石城と子持松砦の間の尾根へ至り、駐車場南にもハイキングコースがありますが、最初に紹介した登城口が遺構を見ながら歩けるのでオススメです。
【感想・メモ】
登り始めて10分弱で堀切や竪堀に至り、その先から石垣が見られます。三の丸(物見櫓)、二の丸を経て本丸へ。本丸の周囲には立派な石垣が取り巻き、眺望も素晴らしく、南尾根正面には景石子持松砦が望めます。また、駐車場の手前約150mの磯部屋敷入り口の案内から山へ入ると磯部氏館もあります。
【歴史】
築城年は不詳だが、延文元年(1356)に赤松氏が因幡に侵攻し景石城を手中に収めたと『太平記』にある。その後、鳥取山名氏の重臣・用瀬氏が統治したが、天正8年(1580)豊臣秀吉の鳥取城攻めに伴い、磯部兵部大輔が城を攻め落とし、城主となって鳥取城めの重要拠点とした。ところが、磯部氏が若桜鬼ヶ城へ出向いた際に山名氏に攻め落とされた。翌天正9年、秀吉の鳥取城攻略後、磯部氏は再度景石城主となった。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の際、磯部氏は西軍に味方したため改易となり、智頭八東二郡の領主となった山崎左馬介の持城となったが、元和元年(1615)一国一城令により廃城となった。
参考資料
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議
登城口 西尾根の堀切 本丸 遠景
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