【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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JR因美線「用瀬駅」から東へ約1km。用瀬駅東方の鳥取市役所支所と用瀬保育園の間の道を500m程北上し、案内に従い右折します。約250m先の行止りが駐車場で、少し手前が登城口です(説明板・碑有)。尚、駐車場東の登城口は景石城と子持松砦の間の尾根へ至り、駐車場南にもハイキングコースがありますが、最初に紹介した登城口が遺構を見ながら歩けるのでオススメです。 |
【感想・メモ】 |
登り始めて10分弱で堀切や竪堀に至り、その先から石垣が見られます。三の丸(物見櫓)、二の丸を経て本丸へ。本丸の周囲には立派な石垣が取り巻き、眺望も素晴らしく、南尾根正面には景石子持松砦が望めます。また、駐車場の手前約150mの磯部屋敷入り口の案内から山へ入ると磯部氏館もあります。 |
【歴史】 |
築城年は不詳だが、延文元年(1356)に赤松氏が因幡に侵攻し景石城を手中に収めたと『太平記』にある。その後、鳥取山名氏の重臣・用瀬氏が統治したが、天正8年(1580)豊臣秀吉の鳥取城攻めに伴い、磯部兵部大輔が城を攻め落とし、城主となって鳥取城めの重要拠点とした。ところが、磯部氏が若桜鬼ヶ城へ出向いた際に山名氏に攻め落とされた。翌天正9年、秀吉の鳥取城攻略後、磯部氏は再度景石城主となった。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の際、磯部氏は西軍に味方したため改易となり、智頭八東二郡の領主となった山崎左馬介の持城となったが、元和元年(1615)一国一城令により廃城となった。 |
【参考資料】 |
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議 |