【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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若桜鉄道「若桜駅」から南へ約1km。若桜駅西方の県道103号から案内が出ており、若桜小学校北側の道路を西進します。ある程度上る所まで「若桜弁財天」と同じ道で、分岐に案内板が出ています。林道で城域南側まで車で上がれ、終点は馬場跡で駐車場になっています(少し手前に八角展望台駐車場がありますが、終点まで車で行けます)。徒歩の場合、町民体育館の裏、若桜小学校の裏、龍徳寺から500m程南下した林道へ向う途中(鬼が城跡(林道)3.2kmの案内が出ている所)の3ヵ所に登城口があります。 |
【感想・メモ】 |
城内は全体に良く整備されています。駐車場から少し歩いただけで石垣が次々に見られ、西面の門跡周辺は崩落した石垣も多く破城の雰囲気も情緒があって良いです。本丸には天守台石垣が残り、眺望も素晴らしいです。西尾根の六角石垣も見事ですが、その手前の南西面の石垣もかなり立派なので見忘れないようにしましょう。また、北西尾根を下ると七号目付近にうっすらですが堀切があり、このまま3ヵ所の登城口に下ることもできます。余談ですが、「若桜駅」にはフリーレンタサイクルが置いてあり、無料でもちゃんとした自転車でした。また、駅前でも駐車料金も無料でした。 |
【歴史】 |
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建仁年間(1201-1204)、矢部暉種が築城したといわれる。その後、矢部氏16代の居城となった。永禄年間(1558-70)、尼子勝久が城を攻略したが、その後吉川元春に攻められ落城した。天正6年(1578)、織田信長に中国攻めの命を受けた羽柴秀吉がこの城を攻め落とし、木下重賢に若桜城を守らせ、因幡平定の拠点とした。天正9年、因幡平定後、木下重賢が2万石で城主となった。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で重賢は西軍に属したため改易となり、替わって摂津三田より山崎家盛が2万5千石で入城した。元和3年(1617)、家盛の跡を継いだ家治は備中成羽に移封となり、一国一城令によって城は廃城となった。山崎氏転封後、若桜は鳥取藩主・池田氏の領国となり、元禄13年(1700)に鳥取城主・池田光仲の五男・清定が1万5千石を分知され、以後池田氏が6代続いて明治を迎えた。
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【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |