【道案内】 |
城跡の地図 |
稲成神社南登城口 |
大手登城口 |
鷲原八幡宮登城口 |
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JR山口線「津和野駅」から南南西へ約1.7km、津和野高校西側の津和野城山公園が城。太鼓谷稲成神社南方にリフト乗り場があり、リフトで標高320m付近まで上がれ、リフト乗り場の道を隔てた東側に無料駐車場があります。徒歩の場合、稲荷神社南(リフト乗り場の北約100m)登城口からだと出丸のすぐ南に、大手登城口からだと出丸と主郭の中間に、鷲原八幡宮登城口からだと中荒城に取り付きます。 |
【感想・メモ】 |
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往復リフト券を購入して早速リフトで城跡へ。リフトを降りてから5分弱で出丸(織部丸)へ、更に10分程で本丸に至ります。秋に訪れた時は紅葉が、春は新緑が美しかったです。近世城郭部分は石垣を堪能し、本丸から南尾根を進んだ中世城郭部分は、南出丸と南西の二重堀切・竪堀、南尾根の三重堀切などが楽しめます。尾根南端には中荒城が、また南麓を流れる津和野川の南に高崎亀井屋敷、丸山城があります。 |
【歴史】 |
永仁3年(1295)、鎌倉幕府から西石見の海岸防備を命じられ、能登より移り住んだ吉見頼行が築城した。天文20年(1551)、陶晴賢が大内義隆を自刃に追いやると、9代正頼は大内義隆の姉を娶っていた事もあり、大内義長・陶晴賢と対立。大内・陶氏滅亡後、吉見正頼は毛利元就に従ったが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に毛利氏が防府・長門の2国へ減封となると、11代広長は長門萩へ移り、替わって坂崎直盛が備前富山城から4万石で入城し城を大改修したが、16年後に改易となった。元和3年(1617)、亀井正矩が因幡鹿野から4万3千石で入り、以後、亀井氏が11代続いて明治を迎えた。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子) |