【道案内】 |
城跡の地図 |
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黒門から津和野城を望む |
津和野中学校の南約200mにある児童公園一帯が屋敷跡です。 |
【感想・メモ】 |
高崎亀井屋敷は丸山城の一部ですが個別に紹介しています。公園周囲に石垣が残り、JR山口線を越えたすぐ右手に説明板があります(丸山城登城口)。丸山城の南麓には石垣造りの喰い違い虎口もあります。尚、この付近から津和野城が望め、石垣もハッキリ分かって楽しめます。 |
【歴史】 |
高崎亀井家は亀井茲矩の甥を祖とし、5代までは多胡氏を称したが、宝永3年(1706)6代矩致の時、亀井氏に改姓した。享保5年(1720)にこの高崎亀井屋敷に移ったという。嘉永6年(1853)、津和野大火にて藩邸が焼失した際は高崎亀井屋敷を仮御殿とし、藩主亀井茲監は安政3年(1856)に藩邸が落成するまでここで藩政を司った。 |
児童公園の石垣 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行 |