島根県のお城 なかあらじょう
中荒城
別名
所在地 島根県津和野町鷲原
遺構等 曲輪、畝状竪堀、堀切、石垣、説明板
現状 山林(津和野城山公園)
築城年 永仁3年(1295)
築城者 吉見頼行
歴代城主 吉見氏
形式 山城(比160m、標332m)
登城時間 津和野城の南二重堀切から主郭まで約6分
畝状竪堀 訪城日 2013/4/28 感想
【道案内】 城跡の地図 鷲原八幡宮登城口
津和野城の南尾根に位置し、中国自然歩道が整備されています。麓から直接登る場合は、中荒城の西麓にある鷲原八幡宮が登城口です。
【感想・メモ】
津和野城南出丸の先の二重堀切から2〜3分南西へ進むと「中荒城の遺構」の看板があり、すぐに城域です。ここも津和野城の一部でしょう。堀切で郭が東西に分断され、西側の主郭には石積みや図面付の説明板があります。この南〜西斜面に畝状竪堀があります。
【歴史】
文永・弘安の役(文永11年(1274)、弘安4年(1281))を受け、鎌倉幕府から西石見の海岸防備を命じられた吉見頼行は、弘安5年に能登から地頭として木曽野(津和野北西部)に入り、永仁3年(1295)築城を開始した。当初はこの中荒城の位置に城を築き、その後三本松城(中世山城)が築かれた。天文23年(1554)、陶晴賢に攻められ100日余の籠城戦に耐えた(三本松の役)際は、堅固な中世山城が構築されていたと思われる。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)
現地説明板

主郭
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