【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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真山が城で、白鹿城南東麓の常福寺前の三叉路に白鹿城・真山城の案内図看板があります。この道を800m程北上した突き当りを右折、200m程東進した左手が登城口で、すぐ先の道路が広くなった所に駐車しました。 |
【感想・メモ】 |
真山城は南北に延びる痩せ尾根に郭が配置されています。7〜8分登るとすぐ南の白鹿城や宍道湖が良く見えます。その少し先に土橋状の地形があり、三ノ床手前にも一騎掛けのような地形があります。主郭には「尼子勝久公之碑」があり、眺望が素晴らしいです。また、三ノ床は南に土塁があり、この南に若干石積みが見られました。ここから南西尾根へ下るとこちらにも郭があり、このまま下ると元の登山道に合流できます。 |
【歴史】 |
永禄6年(1563)、毛利元就の次男・吉川元春がこの真山に陣を布き、尼子勢が拠る白鹿城を攻めた。白鹿城を落とした毛利氏は真山城をこの地方の拠点とし、多賀左京亮元信を入城させた。永禄12年、毛利氏が豊後大友氏との戦いに向かうと、尼子勝久、山中鹿介らが京都で挙兵し隠岐に渡り、島根半島に上陸して忠山城へ入り、その後真山城を占拠した。以後、尼子勢は真山城を本拠として月山富田城に迫ったが、九州から戻った毛利勢により尼子勢は敗れ、元亀2年(1571)真山城は吉川元春により落城し、尼子勝久は織田信長を頼って去った。以後、毛利氏が城を修理し家臣を置いた。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子) |