城跡の地図
備中高松城
別名
所在地 岡山県岡山市北区高松
遺構等 曲輪、捨石、碑、説明板
現状 高松城址公園
築城年 元亀年間(1570-73)
築城者 石川久武
歴代城主 石川、清水、花房
形式 平城
訪城日 2010/4 感想
【道案内】


【感想・メモ】
びっちゅうたかまつじょう
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JR吉備線「備中高松駅」から北へ約700m。国道180号「高松中学校東」信号から100m程東進した次の信号を左折します。JR吉備線を渡り、更に500m程北上した左手に高松城址公園があり、ここが城跡です。公園に無料駐車場が完備されています。
元亀年間(1570-73)、毛利氏に属していた備中松山城主・三村氏の重臣、石川久武が、備前の宇喜多直家に備え築城した「境目七城」の1つ。天正3年(1575)、三村氏滅亡後、石川氏も滅び、毛利氏に属した清水宗治が城主となった。天正10年(1582)、羽柴秀吉による水攻めが行われ、羽柴・毛利の和議条件として宗治は自刃した。その後、高松城には岡山城主・宇喜多秀家が領し、花房正成が入城した。関ヶ原合戦後、徳川家康の旗本花房職之が居城したが、後に高松城は廃され、他の場所に陣屋が置かれた。
【歴史】
秀吉の水攻めで有名な高松城は公園として整備されています。この付近、確かに土地が低いので水攻めも頷けますが、蛙ヶ鼻築堤を見ていると、あまりの規模の大きさにびっくり。さすが秀吉、器が違う?