城跡の地図
撫川城
別名 高下ノ城、芝揚城、泥城
所在地 岡山県岡山市北区撫川
遺構等 本丸、石垣、堀、礎石、碑、説明板
現状 撫川城址公園
築城年 永禄2年(1559)
築城者 三村家親
歴代城主 三村
形式 平城
訪城日 2003/11/16 感想
【道案内】


【感想・メモ】
なつかわじょう
【歴史】
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撫川知行所の総門
JR山陽本線「庭瀬駅」から西へ約450m。県道151号を北上して足守川を「入江橋」で渡り、更に700m程北上してJR山陽本線を越えます。そこから200m程北上すると道が突き当たるので左折し、150m程西進して突き当たったら右折します。そのまま道なりに200m程行くと左手に庭瀬城があり、そこを通り過ぎて更に300m程西進すると撫川城跡があり、水堀が目に飛び込んできます。
公園の入口に立派な門があります。これが、撫川知行所の総門とのことです。周囲に水堀が巡っていて、中に三神社があるのですが、まるで島みたいです。
永禄2年(1559)、備中成羽城主・三村家親が、備前宇喜多直家の侵攻に備え、国境に築城した。秀吉による高松城水攻めの際、毛利方の国境防備の城「境目7城」の1つとなり、城主・井上有景と秀吉軍とが戦った。その後、宇喜多氏の所領となり廃城となった。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の戦功により戸川達安が旧領を回復し、撫川城の東に庭瀬城を築いた。庭瀬の戸川本家改易後、分家戸川達富が5千石を賜りお家再興を許され、撫川城に居住した。