【道案内】 |
登城口1の地図 |
登城口2の地図 |
城跡の地図 |
|
|
大富山とその南尾根が城。車の場合、城の南にある浄久寺を目指し(林道入口の地図)、そのまま林道を進むと主郭と南尾根の間の大堀切まで行け、ここに駐車可能(登城口1)(右下写真)で比高70m程。徒歩の場合、城の北にある西城小学校の南東(線路脇)から登山道があり(看板有)、ここから比高190m(登城口2)。 |
【感想・メモ】 |
主郭部は南東に向って段々に郭があります。南尾根は細長く、郭、岩場、自然地形が続き、最初の郭の背後に小規模な堀切があります。古天神を過ぎ、最南端・最高所にある郭が物見が丸で、この南と西に三重堀切があります。また、物見が丸の東に能楽寺が丸があり、この東先端にも三重堀切があります。また、大堀切(林道)から西側斜面へ下り、南へ向うとこちらには畝状竪堀があります。城域が広いため、見学には最低でも2時間はみておきましょう。 |
【歴史】 |
天文2年(1533)、久代宮氏七代の高盛が築城し、東城町久代の五品嶽城から本拠を移した。以後、この城を西城、五品嶽城を東城と呼んだ。天正19年(1591)久代宮氏11代広尚が出雲国へ移封となるまで5代約60年間居城とした。その後着任した天野新兵衛尉元嘉が慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後まで在城したが、天野氏は毛利氏に追従し長州へ移った。そして、芸備の太守となった福島正則が広島に入封し、三家老の一人、長尾隼人正一勝が東城に赴任したため大富山城は廃城となった。 |
【参考資料】 |
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |