国道2号「本郷大橋西詰」信号から沼田川沿いに1.2km程北上した右手の「上水道管理事務所」前に登城口の案内があり、この左手が登城口です。ここから50m程北上した左手に登山者用駐車場が完備されています。 |
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【感想・メモ】 |
5分弱登ると鳥瞰図付きの説明板があり、そこから5分程で番所跡です。番所跡は3段から成り、しっかりした土塁と石積みが見られます。その背後に堀切があり、その上が広い匡真寺跡で石列や庭園跡と思われる池跡があり、瓦片が散乱しています。ここから竪堀を見て石段を登ると中の丸です。中の丸の東が本丸で、その奥には一段高い詰の丸があり、石仏が沢山祀られ、対岸の高山城が見えます。本丸北の大手門跡から下ると釣井の段で、井戸が6つもあり石垣も見られます。釣井の段から西側の曲輪を見上げた切岸が素晴らしく、この西曲輪と本丸との間の堀切や虎口の石積みも見応えあります。中の丸の西方には石弓の段、西の丸、北の丸があり、この西下斜面の畝状竪堀にも感動します。ここから南の郭を下り、途中から中腹を回り込むと下方の鐘の段に行けます。鐘の段も広く、土塁があり、空堀が巡っています。全体に、随所に石積みも見られ、遺構も見やすく見応えがあり、大満足できます。
また、宗光寺(三原市本町3-11-1)山門は移築門です。 |
【歴史】 |
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小早川氏の祖先土肥実平・遠平父子は、源頼朝の平氏追討で勲功をたて、初め備前・備中・備後の三国の守護職を与えられたが、安芸国沼田荘の地頭職を得ると、一族をあげて相模国から移り高山城を本拠とした。天文21年(1551)沼田小早川家を継いだ小早川隆景(毛利元就の三男)は、沼田川を挟んだ対岸に新高山城を築き、慶長元年(1596)に三原城へ移るまで小早川氏の本拠とした。 |
【参考資料】 |
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
遠景:左が新高山城
(右は高山城) |
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