【道案内】 |
城跡の地図 |
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「福留ハム」や「可部変電所」の南側。国道54号「三入橋西詰」信号を東へ入り、根の谷川を渡ってすぐを右折します。道なりに200m程南下した左手のコーポ裏手が館跡です。入口が分かりにくいので注意して下さい。 |
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【感想・メモ】 |
説明板に向かって左手に門跡や石垣が残り、土塁がL字型に残っています。説明板に向かって右手奥に高松城の登城口があります。 |
【歴史】 |
承久の変(1221)で戦功のあった武将を、鎌倉幕府は西国各地の守護・地頭職に任じた。武蔵国熊谷郡(埼玉県熊谷市)の熊谷氏は、安芸国三入荘の地頭に任ぜられ、伊勢が坪に城を築いた。室町時代に入って高松山に本拠を置き、麓に屋敷を構えた。また、この屋敷と根之谷川を挟んで向かい合う位置に、一族の菩提所・正法山観音寺を営んだ。天正19年(1591)毛利氏に従って広島へ移るまで使用していた。 |
【参考資料】 |
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |