広島県のお城 こおりやまじょう
郡山城
別名
所在地 広島県安芸高田市吉田町吉田
遺構等 曲輪、空堀、土塁、石垣、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 建武3(延元元、1336)、大永3(1523)
築城者 毛利時親、毛利元就
歴代城主 毛利
形式 山城(比200m、標402m)
登城時間 30分
二の丸から本丸方面
訪城日 2012/4/30 感想
【道案内】 登城口1の地図 登城口2の地図 城跡の地図
吉田高校の北側の山が城跡です。「安芸高田市歴史民俗博物館」に駐車し郡山公園から登城するか(登城口1)、博物館の東側道路を500m程上がり神社で突き当たった所から登ります(登城口2)。神社手前に駐車場が有り、そこから毛利元就の墓所を見て、城跡まで800mです。両者とも登城道が整備されています。
【感想・メモ】
全体に城内は整備され、案内や説明板も充実し、とても見やすく分かりやすいです。城域も広く、遺構の状態もいいのでかなり楽しめます。博物館に置いてある縄張図を見ながら歩くと良いでしょう。あちこちで石積みが見られたり、羽子の丸や尾崎丸の手前には堀切があります。尾崎丸と旧本城の間も堀切で遮断しています。資料館近くの「安芸高田少年自然の家」は居館跡で、毛利元就の像や、奥に三矢の訓跡の石碑があります。更に上方には毛利隆元や元就の墓もあります。
【歴史】
建武3年(1336)、安芸毛利氏の祖・毛利時親が吉田を領して築城し、以後毛利氏代々の居城となった。大永3年(1523)12代目・毛利元就が勢力を拡大し、郡山全山を城域に拡大した。天正19年(1591)、毛利輝元は広島城を築き本拠を移した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に防長2国へと減封され長門に移り、元和の一国一城令で廃城となった。寛永14年(1637)、島原の乱の後、キリシタンの利用を恐れ、徹底的に破壊された。
参考資料
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
毛利元就像
三の丸石塁 羽子の丸の堀切 酉谷地点の石垣 毛利元就墓所
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