山中城
別名
所在地 愛知県岡崎市羽栗町
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年
築城者 西郷氏
歴代城主 西郷、今川、松平
形式 山城(比100m)
登城口から主郭まで約25分
訪城日 2007/12/30
やまなかじょう
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
県道324号沿い「羽栗病院」の北側に駐車場があります。ここから南の最初の路地を北西へ進むと登城口で案内があります。登城口は他にもありますが、この舞木口側が分かりやすいと思います。
【感想・メモ】
県下最大級の規模を誇るだけあって本当に城域が広い!そして広範囲が整備され見学しやすいです。主郭と2郭は続いており、主郭に城址碑と説明板が、2郭には土塁が巡り神社が鎮座しています。2郭南から遊歩道を下っていくと右手に空堀や大堀切が見られ、空堀を北へ進むと竪堀や土塁を持った曲輪が見られます。2郭北側は登城道と思えるような雰囲気があり、北東側に竪堀があります。3郭の北東側は虎口のような雰囲気で、土塁があり、更に北の曲輪には土塁があります。
【歴史】
岡崎城主・西郷氏が築城して本拠地とした。大永4年(1524)、3代目・信貞の時、安城城の松平清康に夜襲をかけられ落城した。清康は守山崩れで天文4年(1535)暗殺され、跡を継いだ広忠は今川義元を頼った。義元は見返りとして竹千代を人質として要求し、山中城を西三河進出の拠点とした。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間の戦いで死ぬと、松平元康は義弟・久松俊勝を先陣として山中城を落とした。永禄6年、一揆勢に山中城は一時占領された。しかし翌年、東三河へ本格的に進出した家康が、天正18年(1590)の関東移封まで酒井忠次に山中郷の知行を安堵した。