城跡の地図
萱津合戦陣城

別名
所在地 愛知県あま市(甚目寺町)上萱津八剱50
遺構等
現状
築城年 天文21(1552)
築城者 織田彦五郎信友
歴代城主 織田
形式 陣城
訪城 2007/6/30 感想
【道案内】

【感想・メモ】
かやづかっせんじんじろ
【歴史】
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名鉄名古屋本線「須ヶ口駅」から南西へ約1.1km、名鉄津島線「甚目寺駅」から東南東へ約1.1km。県道79号「下萱津」信号を北西へと県道200号に入り、1.2km程進んだ「甚目寺字八尻」信号を過ぎて、更に150m程北上した3本目の路地を右折します。700m程東進すると左手に「上萱津第六分団」と書かれた消防施設があります。このすぐ横に合戦碑があります。
合戦碑には「いにしへの萱津ヶ原に名をとどむ もののふどもの夢のまた夢」と刻まれています。両軍の戦死者の塚が散在しているのを、この場所に統合し、碑を立てたようです。
天文21年(1552)、清洲城守護代・織田彦五郎信友と織田信長が尾張支配権をかけて戦った。信長は那古野城から出陣し、稲葉地の河岸に進軍し、守山城から駆けつけた叔父・孫三郎信光と合流して海津口(下萱津)に陣を布いた。これに対し、信友軍は上萱津に兵を進め対峙した。この戦いは萱津合戦と呼ばれ、信長軍が勝利し、尾張統一、そして全国統一の基礎を作ったと伝えられる。