守山城
別名
所在地 名古屋市守山区市場4
遺構等 空堀、碑、説明板
現状 宝勝寺
築城年 大永元(1521)
築城者 松平信定
歴代城主 松平
形式 平山城
訪城日 2004/9/25


【道案内】
【感想・メモ】
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もりやまじょう
【歴史】
県道15号「矢田川橋」で矢田川を北へ渡り、すぐを左折して堤防沿いの道を200m程西進します。すると右手前方向へ戻る道があるので、そちらへ右折すると、左手に「宝勝寺」があります。このお寺周辺が城跡です。お寺に駐車スペースがあります。
宝勝寺から北へ50m程歩くと左手にアパートがありますが、このアパート裏手の高台に城址碑があります。この付近は竹林になっていて見にくいのですが、空堀があります。反対側の民家付近から竹林を見ると良く分かりますが、写真に撮ってもただの薮で何が何だか分からないのが残念!
守山城といえば、守山崩れが有名。松平清康(徳川家康の祖父)が三河の大半を手にし、尾張も攻略しようと守山城主・織田信光とよしみを通じて古渡城の織田信秀を討とうと天文4年(1535)守山城に入った。その翌朝、城内の馬が暴れ人々が騒ぎ出したため、清康の家臣・阿部定吉の子・弥七郎は、かねて父に清康への逆心があると噂されていたため、父が成敗されると思い込み、清康を斬り殺してしまった。弥七郎はその場で清康の家臣に殺された。これが守山崩れである。その後、お城は織田信秀に属したが、桶狭間の戦いの後に廃城となった。規模は、東西58m、南北51mほどであったという。
城跡の地図