名古屋城
別名 金鯱城
所在地 名古屋市中区本丸1
遺構等 復興天守、現存隅櫓3つ、堀、石垣、土塁
現状 公園
築城年 慶長17(1612)
築城者 徳川家康
歴代城主 徳川
形式 平城
訪城日 2005/6/12
【道案内】

【感想・メモ】

なごやじょう
【歴史】
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那古野城跡
地下鉄名城線「市役所駅」7番出口から東門まで徒歩約5分。国道41号「清水口」信号を西へ入り、750m程西進した「市役所」信号を右折して200m程北上した左手(西)が東門です。土・日・休日は周辺の道路は路上駐車okとしている所が多いので、道路標識を見て駐車すると良いと思います。
名古屋城の二の丸の位置に那古野城があったことから、二の丸に那古野城の説明板があります。また名鉄瀬戸線「東大手駅」の南に大手門があり、この南北にも外堀や土塁、石垣が残っています。4月6日のしろの日と近くの土日にはイベントがあり、内堀探検と称して、内堀に下りられる日もあるので(雨天中止)石垣と刻印を思いっきり楽しめます。

詳細は・・・名古屋城公式ホームページ
大永2年(1522)、那古野城は今川義元の父・氏親が築城し、尾張制覇を目指した。しかし、天文元年(1532)、勝幡城主で勢力を拡大していた織田信秀が城を奪い、生まれたばかりの信長に与えた。信長は弘治元年(1555)清洲城へ移るまで居城した。天正10年(1582)廃城となったが、慶長15年(1610)、大阪に残る秀頼に備えるため名古屋城を築城した。工事は、北国・西国の豊臣に縁の深い20大名を中心に命じた。
本丸御殿と復興天守
刻印だらけの石垣
外堀と大手石垣
水堀越しの天守
西北隅櫓
城跡の地図