城跡の地図
国道301号の新城橋で豊川を北に渡ってすぐの「石田万福」信号を左折し、500m程西進した6本目の路地を左折します。民家の間を抜けると田畑になりますが左手に泉蔵寺がある所の右手前方に土塁が見えます。ここが城跡です。
主郭は現在茶畑になっており、土塁は高さ5m、幅3m程で主郭の2方面にあります。反対側は豊川と野田川に接しています。土塁の外側には空堀が明瞭に残っており、土塁の隅に城址碑があります。
【歴史】
天正18年(1590)、家康の関東移封に伴い、新城城主・奥平信昌も上野国に移った。そのため、吉田藩主・池田輝政の家臣である片桐半右衛門が新城へ赴いたが、新城城へ入らずにここ石田に城を築いた。ところが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、池田輝政は52万石の姫路城主となったため、片桐も同行した。その際、石田城は廃城となった。
【感想・メモ】
石田城
別名
所在地 新城市石田字西金国
遺構等 曲輪、空堀、土塁、碑
現状 茶畑
築城年 天正18(1590)
築城者 片桐半右衛門
歴代城主 片桐半右衛門
形式 平山城(比15m)
訪城日 2008/3/16
【道案内】


いしだじょう
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石田城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より