鶴ヶ岡城
【道案内】

JR羽越本線「鶴岡駅」から南西へ約1.7km。鶴岡市役所のすぐ西側にある「鶴岡公園」が城跡です。桜祭りだったため臨時かどうか不明ですが、公園南側に150台分程の無料駐車場がありました。
【歴史】
公園のすぐ東は市役所ですが、この道を挟んだ南側、つまり鶴岡公園の南東から対角線の場所に「旧致道館」があります。公園内に内堀が巡り、公園の北と西の辺にも水堀があります。
【感想・メモ】
城跡の地図
土塁
別名 大宝寺城、大梵寺城
所在地 山形県鶴岡市馬場町4-1
遺構等 曲輪、石垣、堀、土塁、碑、説明板
現状 鶴岡公園、荘内神社
築城年 元和8(1622)
築城者 酒井忠勝
歴代城主 酒井
形式 平城
訪城日 2005/4/29 感想

致道館
つるがおかじょう
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はじめ、武藤長盛が築城し、大宝寺城といった。天文年間(1532-55)、武藤氏は本拠を尾浦城へ移し、大宝寺城は支城とした。天正16年(1588)、越後村上城主本庄繁長が庄内を攻めたため、尾浦城と共に落城した。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦功により庄内地方を加増された山形城主最上義光は、隠居城として大宝寺城を修築して鶴ヶ岡城と改称した。元和8年(1622)、最上義俊が改易され、信濃松代より酒井忠勝が入って城を改修した。その後、酒井氏が11代続き、明治を迎えた。