山形県のお城 やまがたじょう
山形城
別名 霞城
所在地 山形県山形市霞城町1
遺構等 東大手門、石垣、空堀、土塁、水堀、移築門、碑、説明板
現状 霞城公園
築城年 正平11(延文元1356)
築城者 斯波兼頼
歴代城主 斯波、最上、水野、鳥居、保科
形式 平城
登城時間
二の丸東大手門 訪城日 2005/4/29、2014/4/29 感想
【道案内】 城跡の地図
JR「山形駅」から北へ約750mの霞城公園が城跡で、車だと北門から中へ入れ、公園内に500台分程の無料駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
北門に入る手前の道路脇に城址碑がありました。最上義光像の後ろのしだれ桜がすごく綺麗で思わず見入っちゃいましたが、散った桜の花びらが水堀に沢山浮いていたのも綺麗でした。また、市営球場の南東角に、緑色の花が咲く鬱金の桜があり、珍しいから見る価値あるかも?また、三の丸土塁が残っています。

近くに移築門(大手門)、移築建物(伝承で確かなことは不明))、土塁があるので一緒に見ると良いでしょう。
○移築門:山形市平清水(山形県庁の南)にある萬松寺山門(地図
○移築建物と伝承:山形市八日町2-1-57(山形駅から南へ約900m)にある宝光院本堂(地図
○三の丸土塁:山形市十日町1丁目1(地図
【歴史】
最上義光像
正平11年(延文元、1356)、足利一族の斯波兼頼が築城した。その後、子孫が領有し、最上姓を称した。最上義光の時、伊達政宗と抗争したものの最大の勢力を誇り、出羽最大の大名に成長し、江戸幕府成立時は57万石を領した。しかし、義光以後は没落し、元和8年(1622)、義光の孫・家信(義俊)は家臣の争いにより改易された。以後、鳥居忠政が城を改築し、徳川家の親藩・譜代大名が次々と入城。水野氏5万石で明治を迎えた。
参考資料】
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第2集(村山地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行

一文字門石垣

移築門(大手門)

移築建物(伝承)

三の丸土塁
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