【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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JR米坂線「西米沢駅」から西南西へ約2km。国道121号で鬼面川を西へ渡った150m先「舘山発電所前」バス停付近で左折します。80m程南下した橋を渡る手前左手に説明板があり、ここが登城口で、ここ又は山の東麓(東館)に駐車可能です。 |
【感想・メモ】 |
説明板から見える山が城で、西側以外の三方が川に囲まれた要害に位置します。一部、発電所の施設がありますが遺構はかなり良好に保存され、城内は見やすく整備されています。橋を渡り「大手口」案内に従い左へ進むと「私有地に付 立入り大歓迎」標柱に爆笑しました。山の東麓は館跡(東館)で、井戸跡が沢山検出されたようです。私が訪れた時は桜が綺麗でした。東館を南へ回り込むと登山口で、5分もかからず東郭の南門跡(南虎口)に至ります。舘山城は郭が東西に3つ並び、各郭の西側には土塁を設け、その背後に堀切を穿っています。東郭北西の虎口は大規模な桝形に石垣を伴い、主郭(中央の郭)北西の虎口は喰違い状になっています。主郭と西郭の背後の堀切は規模の大きさに圧倒され、西郭南には高い物見台まであります。更に北西の搦手から主郭北側にかけて横堀もあるなど、見所盛り沢山で楽しめます。 |
【歴史】 |
築城には諸説ある。天正15年(1587)に伊達政宗が自ら縄張をし築城を開始したが、天正19年に岩出山城へ移ったとする説、天正13年に輝宗が隠居所として築き、その後天正15年に政宗が改修したとする説、天文17年(1548)に伊達晴宗が福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際の主城とし、以後、輝宗、政宗と伊達氏が本城とし、天正19年(1591)に政宗が岩出山城に移ったとする説などがある。 |
【参考資料】 |
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |