亘理城
別名 臥牛城、亘理要害
所在地 宮城県亘理町旧館
遺構等 曲輪、土塁、空堀、説明板
現状 旧舘公園、亘理神社
築城年 天正年間(1573-92)
築城者 亘理元宗
歴代城主 亘理、伊達
形式 平山城
訪城日 2006/4 感想

【歴史】
城跡は少し高台となっており、主郭は亘理神社になっています。神社にお城の説明板や伊達成実に関する説明板もあり、土塁が良く残っています。また神社の南側(旧舘公園)には内堀も残っています。
亘理城図(現地案内板より)
【感想・メモ】
JR常磐線「亘理駅」から南西へ約1.2km。亘理町役場から400m程南下して県道を横切ったすぐ右手に旧舘公園があり、ここが城跡です。駐車場がなかったので、約250m西にある中央公民館の駐車場を利用するといいでしょう。
【道案内】
城跡の地図

天正年間(1573-92)、亘理元宗が築城し、小堤城からこの地に移ったと言われる。亘理氏は伊達政宗が葛西大崎領に移封された際、遠田郡涌谷に移封となり、亘理には片倉景綱が入った。関ヶ原合戦後、景綱が白石に移ったため、慶長8年(1602)伊達成実が亘理城に入り、以後亘理伊達氏が居城し、伊達一門の家格として仙台藩の最高の知行地を誇った。ちなみに、仙台藩で「城」というのは、仙台城白石城だけのため、他の大身侍の居城は「要害」と呼ばれた。この亘理城は亘理要害と呼ばれ、仙台藩内にあった21ヵ所の要害の1つだった。
わたりじょう
TOPページへ