石巻城 |
2011年3月11日に発生した東日本大震災にて、津波による大被害を受けた町々を訪れるため東北に入りました。石巻もその一つで、津波による被害を免れたこの高台に来てみたら城跡でした。城跡からは石巻市街、旧北上川、太平洋が一望でき、穏やかで美しい海が堪能できます。でも、津波の猛威で街が壊滅し、瓦礫や車の山が広がる景色に愕然とします。早く復興してもらいたいものです。せっかくなので遺構がないか散策したのですが、見当たりませんでした。神社が主郭だったようで、その2段下のところに城址碑が、また神社南西の道路沿いコーナーに説明板があります。 |
JR石巻駅から南南東へ約1.3kmにある日和山公園、鹿島御児神社一帯が城跡で、無料駐車場があります。 |
葛西清重は豊島清光の三男で、下総の葛西の地を領して葛西氏の祖となった。文治5年(1189)、奥州合戦の恩賞として清重が牡鹿郡ほか数箇所の所領を与えられ、以後、約400年間、牡鹿郡は葛西氏の重要な所領だったが、初代清光、二代清親、三代清時は鎌倉に居住していたため、石巻城を築いて居城としたのは四代清経の代と推定される。葛西氏は勢力を伸ばし、大崎氏、伊達氏と並ぶ東北地方の有力な大名に成長し、戦国期には居城を石巻から寺池に移したといわれる。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に散陣しなかったため所領を没収された。 参考資料 『日本城郭大系』(新人物往来社発行) 現地説明板 |
別名 | 日和山城 | ||
所在地 | 宮城県石巻市日和が丘2丁目 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 日和山公園、鹿島御児神社 | ||
築城年 | 鎌倉時代 | ||
築城者 | 葛西清経 | ||
歴代城主 | 葛西氏 | ||
形式 | 山城(比55m、標60m) | ||
訪城日 | 2012/1 | 感想 | - |
いしのまきじょう |