寺池城 |
公園は三の丸で、現在、裁判所がある所が二の丸、更に上の畑になっている所が本丸です。公園東の入口に標柱や説明板があります。 |
北上川を国道342号「登米大橋」で西へ渡り、更に200m程西進した信号を右折した右手の「寺池公園」及びその北方が城跡です。公園西に隣接した観光物産センターの駐車場を利用させて頂きました。 |
築城時期は不明だが、源頼朝の奥州藤原氏討伐後、奥州総奉行に任じられた葛西氏が築城した。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が滅亡した後、木村吉清・清久父子が葛西・大崎氏の旧領を与えらた。翌19年、葛西大崎一揆に攻められ落城した。その後、慶長9年(1604)、伊達政宗の家臣・白石宗直が移り登米要害として重視した。白石氏は天和2年(1682)伊達姓を賜り、以後は登米伊達氏の居城として明治を迎えた。 |
土塁 |
別名 | 登米要害、臥牛城 | ||
所在地 | 宮城県登米市登米町寺池桜小路 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、壇、井戸、碑、復元絵図 | ||
現状 | 寺池公園、裁判所、畑 | ||
築城年 | |||
築城者 | 葛西氏 | ||
歴代城主 | 葛西、伊達 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2012/1 | 感想 | △ |
てらいけじょう |
本丸手前 |