向羽黒山城
別名 岩崎城、巌館
所在地 会津美里町(会津本郷町)船場
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪掘、碑、説明板
現状 山林
築城年 永禄4-11(1561-68)
築城者 葦名盛氏
歴代城主 葦名
形式 山城(比183.7m)
訪城日 2006/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
むかいはぐろやまじょう
【歴史】
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国道118号で会津若松市街から南下した場合、左手に「会津若松総合運動公園」がある信号を右折して、県道128号に入ります。700m程西進して会津鉄道を渡り、2km程進んだ信号を左折して県道128号をキープします。500m程進んで左折し「白鳳山公園」方面へ向かいます。道なりに700m程進んで左手に羽黒山を過ぎ、更に1.2km程進むと道が右急カーブになります。そこから300m程進んだ左手の山が主郭、右手の山が二の郭となります。ちなみに、三の郭の先程の急カーブの手前300m程の所の西側です。通りの所々に無料駐車場があります。
主郭登り口に説明板があります。登り始めてすぐ竪堀が2本見え感動していたら、更に登るともっと立派な竪堀があり、滅茶苦茶楽しいです。堀切を越えて辿り着いた主郭は細長く、白い標柱があります。主郭と道路を隔てた反対側に二の郭があり、道路は堀切です。二の郭にも説明板があり、晴れだったらかなり絶景だろう景色が曇ってかすかに見えます。三の郭も登り口に説明板があり、ここからの眺望もかなり素晴らしくて気持ちいいです。どの曲輪にも土塁や石積みがあり、それ程登らず遺構と絶景が味わえる素晴らしいお城です。
永禄4〜11年頃(1561-68)、葦名盛氏が築城した。盛氏は黒川城を居城としながら、隠居城として8年もの歳月をかけ本格的な山城を築いた。しかし、天正9年(1581)盛氏が死去したため再び黒川城に戻った。 天正13年、伊達政宗が裏磐梯の桧原に城を築いたため、葦名氏は猪苗代の鶴峯城や、最終拠点である向羽黒山城も改修し、政宗に備えた。天正17年、伊達政宗が会津領主となり、黒川城や向羽黒山城を改修した。慶長3年(1598)、越後から上杉景勝が会津に入り向羽黒山城を大改修したが、慶長6年に破却され、景勝は米沢に移った。
城跡の地図