神指城 |
別名 | 岩崎城、巌館 |
所在地 | 会津若松市神指町高瀬 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀跡、説明板 |
現状 | 塚、田 |
築城年 | 慶長5(1600) |
築城者 | 上杉景勝 |
歴代城主 | 上杉景勝 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/5/2 |
こうざしじょう |
国道49号で河東町から会津若松市に入った場合、国道118号と交差する「北柳原」信号を過ぎ、更に2.8km程西進した「高瀬」信号で国道49号は右折になりますが、ここを直進します。この正面に見える塚みたいな小山が城跡ですが、道なりに左カーブして1本目の路地を右折し、600m程進んだ右手となります。城跡のすぐ脇に、1〜2台分の駐車スペースがあります。 |
遠方から田んぼの中に少しこんもりした塚みたいなものが見えるのですぐに分かりました。ここが景勝が築城を始めた城で会津若松城より広大だったとは、今ではその面影すらないって感じです。お城が完成していたら、もっとあれこれ残ったんだろうけど。ここは城跡より「高瀬の大木」の方が有名みたいです。塚の上に大木が植わっているのですが、この木は戦国の世から現代までずーっと見ているんだよなぁ。 |
慶長4年(1599)120万石を領する時の会津藩主上杉景勝は、石田三成等と力を合わせて徳川家康を討とうとしたが、鶴ヶ城は山に近く守備に不利と見て、神指ヶ原に大規模な城郭を築くことを計画、家老直江兼続の指揮のもと12万人の人夫を動員し、昼夜休みなく工事を急がせた。しかし関ヶ原の戦は家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止した。それ以後、この城は廃城となり現在にいたっている。(現地説明板より) |