【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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遠景 |
秋田新幹線「羽後境駅」の南約1.3kmにある「まほろば唐松中世の館 唐松城」の西背後の山。「羽後境駅」から西側道路を1.1km程南下して右折し(道路に案内有)、淀川を渡ってすぐの突当りを右折します。200m程川沿いに西進した左手の施設「まほろば唐松中世の館 唐松城」の背後の山が城で、施設内に駐車場があります(観光施設の閉館時間30分後(17時)に入口が閉鎖されるとのことで、時間外は施設のすぐ手前にある駐車場に停めると良いでしょう)。 |
【感想・メモ】 |
淀川が大きく蛇行する内側にあるため、西側以外の三方は川に囲まれた天然の要塞に位置しています。観光施設の北側にある鳥居の所から登ります。5分程登ると冠木門が出迎えてくれ、そこから段郭を進み、上の段には「唐松野合戦と峰野山対陣」などの石碑があります。この南背後に堀切があります。ここから北西へと段郭を更に登りきると主郭です。主郭北には堀切が、南西斜面には畝状竪堀があります。竪堀はとても短いですが見やすいです。 |
麓の観光施設 |
【歴史】 |
唐松城は平安時代、陸奥の郡之司であった安倍貞任の弟、境講師官照の強固な城であったが、康平6年(1063)に源義家(八幡太郎義家)の攻撃にあい、落城したと言い伝えられている。中世末期には、羽州、淀川、繋街道の重要な分岐点であった唐松城周辺は、檜山(能代市)並びに湊(秋田市土崎)に拠点を置く安東氏の最前線基地として、数々の凄惨を極めた戦いが繰り広げられた古戦場である。天正15年(1587)、湊城の安東愛季は、角館城を本拠とする戸沢盛安と小野寺氏との確執を知り、小野寺氏を排斥しようと3000の兵を唐松野に繰り出した。しかし、盟友のはずの戸沢氏は急遽小野寺氏に味方し、淀川対岸に陣を張った(唐松野合戦)。激戦は安東軍の敗戦に終わり、翌年、安藤氏は名誉回復のため峰の山に兵を進めた。小野寺・戸沢連合軍との戦いは決着がつかないまま和睦となった。(現地説明より) |
【参考サイト】 |
「秋田の中世を歩く」 |