登城口の地図
松葉城
別名
所在地 掛川市倉真字松葉
遺構等 曲輪、土塁、碑、説明板
現状 山林
築城年 室町中期
築城者 河合氏
歴代城主 河合
形式 山城(比50m)
登城口から主郭まで約12分
訪城日 2006/2/11
【道案内】


【感想・メモ】
まつばじょう
【歴史】
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登城口
県道81号「松葉トンネル」を北東へ過ぎ、200m程進むと倉真川を渡る「松葉城山橋」があります。すぐ先にも橋があり、1号・2号と連続でありますが、この橋と橋の間の右手に「松葉城登城口」の案内があります。ここから登った山頂が城跡で、案内がある道路左手に駐車スペースがあります。
県道沿いの登城口から12分も登れば主郭に辿り着きます。主郭には址碑と小さな墓石がありました。そこから谷を隔てた南側に大堀切があるとのことだけど、行ってみたら谷はあるものの大堀切ってどれのことだろう??と大悩み。縄張図を睨めっこしながら、方角はあってるはずなのにぃと思うも分からない。全然違う方に郭があるというので、そっちを見に行ったりして、諦めて下山しました。その後、ヤカタを探しに行ったのですが、きっとココに違いない!と思う場所は民家があったので、これまた諦めて次の城へ向かいました。
室町中期、河合氏が築城したといわれる。河合氏の出自は諸説あり、平治の乱で敗れた藤原信西入道の子宗忠の子孫とする説、源頼政の子孫とする説等がある。明応5年(1495)、時の城主・河合成信は今川氏に属していたが、今川に敵対していた斯波氏に与していた勝間田城主・勝間田播磨守及び志戸呂城主・鶴見因幡守らの軍勢に攻められ松葉城は落城し、成信は自害したといわれる。他にも、河合氏が当時今川氏に敵対した原氏に属していた為、今川氏によって攻め滅ぼされた、とする説もある。