横内陣屋 |
別名 | |
所在地 | 藤枝市横内字堂ノ前 |
遺構等 | |
現状 | 宅地、慈眼寺 |
築城年 | 享保20(1735) |
築城者 | 松平乗賢 |
歴代城主 | 松平、田中 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2006/1/8 |
よこうちじんや |
東名高速道路「焼津インター」を下り、県道81号を藤枝市方面へ向かいます。2km程行った「狩宿」信号を右折してすぐに左へ入る道があるので、こちらへと左折して県道81号をキープします。500m程行って朝比奈川を「横内橋」で渡り、そこから更に400m程行った右手に「慈眼寺」があります。この付近一帯が陣屋跡です。 |
慈眼寺は慶長4年(1599)の開山で、境内には美濃岩村藩横内陣屋3代目代官・田中清太夫の墓といわれる代官地蔵尊があります。 宝暦11年(1761)、横内陣屋代官・田中清太夫首上が、任地の横内で亡くなったため、田中家では、その遺体を境内に葬り、その墓地に石の地蔵菩薩像を刻んで安置した。 |
享保20年(1735)から明治維新までの135年間、横内村は岩村藩領だった。美濃岩村城主であった松平能登守乗賢が老中に任ぜられ1万石の加増を受け、その内の5千石は駿河国十五ヶ村を領地とした。この飛領地となる領地を統治するため、横内村に陣屋が置かれた。 |
代官地蔵 |