沼津城 |
JR「沼津駅」から南へ約450mの中央公園が城跡です。 |
天正7年(1579)、武田勝頼が北条氏の戸倉城に対して三枚橋城を築城した。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には大久保治右衛門忠佐が城主となったが、慶長18年(1613)、忠佐の死後世継ぎがなかったため大久保家は断絶となり、翌慶長19年、三枚橋城は廃城となった。以降160余年の間当地に城はなかったが、安永6年(1777)、水野忠友(後に老中)がこの地に沼津城を築城した。沼津城は三枚橋城の北半分を利用して造られたが、規模は三枚橋城の約3分の1だった。慶応4年(1868)、水野氏の菊間転封後、城の建物は沼津兵学校の施設として使われたが、明治4年(1871)、兵学校廃止後払い下げられ、姿を消した。 参考資料 『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行 『ふるさと古城の旅』水野茂著 現地説明板 |
公園北側に城址碑と説明板があります。また、公園の南側の通りを少し西へ行くと通りの北側に「川廓通り」という案内板があり、そこに静岡藩時代の沼津略図が載っています。また、公園の約200m南にある東急ホテルには出土した石でつくった外堀石垣や地下駐車場にお城の説明板があり、ホテルのやや南(広い通り沿い)には外堀跡の石碑もあります。 |
外堀石垣
別名 | 三枚橋城、観潮城 | ||
所在地 | 静岡県沼津市大手町4丁目 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 中央公園 | ||
築城年 | 天正7(1579) | ||
築城者 | 武田勝頼 | ||
歴代城主 | 武田、北条、大久保 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2011/9 | 感想 | − |
ぬまづじょう |