長久保城 |
築城時期は不明だが、文明14年(1482)葛山氏が沼津郷侵略のためこの長久保を拠点にしたという。天文6年(1537)北条氏綱が駿東・富士侵攻のため今川氏が築いた古塁の跡を修復して築城したという。天文14年(1545)今川氏は北条氏の侵攻に対し、この城を攻撃して奪った。永禄11年(1568)信玄が駿河に侵攻すると北条氏は駿東を押さえ、長久保城は再び北条氏が支配したが、元亀2年(1571)両者が同盟を結び、駿河の大半が武田氏の領有となると長久保城は武田氏が支配した。天正10年(1582)武田氏滅亡により徳川氏の支配となり、松平家忠に修築させた。天正18年の小田原征伐の際、家康は豊臣秀吉をこの城で迎え、攻城の拠点として使用したという。家康の関東移封後は、駿府城主中村一氏の弟で沼津城主の一栄が支配したが、慶長5年(1600)中村氏が伯耆米子に転封となると廃城となったといわれる。 参考資料 『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 『ふるさと古城の旅』水野茂著 『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文・中井均編 |
もともとはかなり広大な城郭だったようですが、主郭はショッピングセンター、二曲輪・八幡曲輪はバイパス、三曲輪は小学校が建設され壊されてしまいました。現在、城山神社がある部分が南曲輪で、土塁が残っているとはいうものの旧状は把握し辛いです。 |
別名 | 長窪城、城山 | ||
所在地 | 静岡県長泉町下長窪 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、説明板 | ||
現状 | 城山神社 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | 今川氏、武田氏、北条氏、徳川氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2011/9 | 感想 | △ |
ながくぼじょう |
JR御殿場線「長泉なめり駅」から西へ約850m。北小学校の裾野バイパス(国道246号)を挟んだ南東にある城山神社が城跡で、神社西側に駐車場があります。 |