角牟礼城
別名 角埋城
所在地 大分県玖珠町森
遺構等 曲輪、石垣、土塁、井戸、竪堀、説明板
現状 角埋山
築城年 弘安年間(1278-88)
築城者 森三郎清原朝通
歴代城主
形式 山城(比250m)
訪城日 2007/2/11
【道案内】
城跡の地図
弘安年間(1278-88)、豊前側からの侵入を防ぐ豊後の境目の城として、森三郎清原朝通が築城した。天正14、15(1585、86)の島津氏と大友氏の豊薩戦では、唯一落城しなかった。文禄2年(1593)、豊臣秀吉が文禄の役で失態をおかした大友義統を除国し、翌年に日田郡に宮木長次、玖珠郡に毛利高政を入部させた。慶長元年(1596)からは毛利高政が日田・玖珠郡2万石を支配し、近世城郭へと改修した。慶長5年の関ヶ原合戦後、毛利高政は佐伯城主に転封され、一時黒田孝高の預かり地となったが、代わって伊予から来島康親が入部した。来島氏は1万4千石の小大名で城持ちが許されず、麓に陣屋を築き、城は廃城となった。
三の丸の石塁、登り石垣にいきなり圧倒され、本丸方向へ向かうとすぐ右手に竪堀が3本見えます。図面の大手門と搦手門は逆と思われ、水の手曲輪南面の100m程続く長い石垣が壮観です。二の丸南には礎石建物跡があり、大手門の桝形も立派です。この東方に竪土塁と堀切があり、山上の本丸は広くて眺望が良く、虎口や土塁、北側には崩落が激しい石垣があります。全体的に見応えたっぷりのお城です。
麓の三島公園から末広神社経由で登山道がありますが、「角埋山」の案内に従い林道を進むと城の南となる三の丸まで車で行け、駐車場があります。麓の三島公園は久留島陣屋で、公園に無料駐車場があります。
【感想・メモ】
【歴史】

TOPページへ
つのむれじょう