佐伯城
【感想・メモ】
文化会館の前に三の丸の櫓門があります。この右手から登城道があり、鳥居をくぐって少し行くと道が3つに分かれます。私が訪れた時は雨だったので、真ん中の「登城の道」は険しく足元も悪い事から、右手の「独歩碑の道」を行きました。この道は幅が広く、緩やかな山道で登りやすかったです。15分程登ると石垣が見え、階段を上ると本丸下となります。本丸の西側に二の丸、西の丸があり、本丸の北側に北の丸があって、どこからでも石垣が楽しめます。本丸と二の丸の間の廊下橋と埋門が特に見所です。
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麓の佐伯小学校や佐伯文化会館から背後の山までが城で、文化会館の駐車場に停めさせてもらいました。文化会館の北側から登城道が整備されています。
慶長6年(1601)4月、日田より毛利高政が入封し、翌年、山頂に築城を開始した。慶長11年、城は完成したが、間もなく失火により本丸、二の丸を焼失した。寛永14年(1637)、山麓に三の丸を築き、以後2百数十年の佐伯藩政は、専らここで執り行われた。明治初年の版籍奉還、廃藩置県によって廃城となった。
城跡の地図
【道案内】
【歴史】
別名 鶴屋城、鶴ヶ城、鶴城、鶴谷城
所在地 大分県佐伯市大手町1-1-1
遺構等 天守台、現存櫓門、石垣、曲輪、説明板
現状 文化会館、城山
築城年 慶長7(1602)
築城者 毛利高政
歴代城主 毛利
形式 平山城(比135m)
訪城日 2006/11/19

さいきじょう