府内城 |
濠越しに見る石垣と隅櫓を堪能しようと一周したものの、何故か気分が乗ってこない。大好きな石垣があるのに何故?と考えて分かったのは、周囲のビルや中にある文化会館のせいで、城跡の雰囲気が壊されているのと、写真を撮ると、必ずといっていいほど、何かの現代建築物が入ってしまうからでした。北の丸と西の丸を結ぶ廊下橋を見た後、市役所へ行ったら「おおいた 歴史散歩」という小冊子や、「歴史の散歩道」というマップなどをゲットでき、急にすっかり上機嫌になりました。 |
JR日豊本線「大分駅」から北東へ約750m。大分市役所の東、大分県庁の北にある大分城址公園一帯が城。公園内にある大分文化会館の駐車場を利用するか、周辺に有料駐車場があります。 |
豊後守護・大友氏がこの地に居館を構えたが、大友宗麟が臼杵城に移り、宗麟の後を継いだ大友義統が改易となったため、石田三成の娘婿・福原直高が12万石で入封し、慶長2年(1597)府内城築城に着工した。しかし秀吉没後、石田三成を後ろ盾とした福原直高は府内城を追われ、替わって早川長敏が城主となるが、関ヶ原合戦で西軍に属したため断絶となり、翌慶長6年、豊後高田より竹中重利が2万石で入った。しかし、竹中氏2代・重義が改易となり、寛永11年(1634)下野壬生より日根野吉明が入ったが、吉明に嗣子無く断絶し、万治元年(1658)豊後高松より松平(大給)忠昭が2万2千石で入封した。以後、松平氏が10代続いて明治を迎えた。 |
別名 | 荷揚城、大分城 |
所在地 | 大分市荷揚町 |
遺構等 | 櫓、天守台、水堀、石垣、櫓台、碑、説明板 |
現状 | 大分城址公園 |
築城年 | 慶長4(1599) |
築城者 | 福原直高 |
歴代城主 | 福原、早川、竹中、日根野、大給松平 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/11/26 |
ふないじょう |