名島城
天文年間(1532-55)、大友の根拠地だったこの地に立花城の出城として、立花鑑載が築城した。天正15年(1587)九州平定を終えた豊臣秀吉は、筑前国および筑後・肥前のうち四郡を小早川隆景に与え、九州観察をさせた。隆景は海城を築くのが得意だったため、出城が置かれていた名島に築城した。この城は、三方を海に面し、城地全体に濠を巡らしていた。また、秀吉自ら築城に加勢し、短期間で完成したといわれる。慶長5年(1600)、関ヶ原陣の戦功により黒田長政が筑前国主となり、この城に入ったが、城地が狭く城下町が作れないため、福崎に福岡城を築いた。その際、名島城の石垣、櫓などを壊して建築資材としたため、名島城は廃城となった。
【歴史】
【感想・メモ】
西鉄宮地岳線「名島駅」から北西へ約1.4km。名島城址公園、名島神社一帯が城で、西麓の神社参拝道前に駐車スペースがあります。尚、名島城址公園は入園時間があり(季節により時間は変動)、時間外は施錠されますので注意してください。
城跡の地図
移築門の地図
【道案内】
別名
所在地 福岡市東区名島1丁目
遺構等 曲輪、天守台、堀切、移築門、碑、説明板
現状 名島城址公園、名島神社
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 立花鑑載
歴代城主 立花、小早川、黒田
形式 平山城(比50m)
訪城日 2007/2/9
再訪したら初めて訪れた時(2007年)とすっかり様子が変わり公園整備されていました。海が見渡せ気持ち良いです。福岡城に移築門があります。名島神社から道路を隔てて海側へ行くと、「檣石」というものがあり、神宮皇后が三韓出兵の際に用いた船の帆柱が化石になったものと言われています。なかなか変わっていて一見の価値ありなので、是非寄ってみてください。ここから眺める海もキレイです。
移築門は他に、博多区千代4−7 宗福寺にもあります。
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なじまじょう